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Report # 1 背景 世界各地における「壁」(保安壁とも呼ばれる)に関する報道とは対照的に、 イスラエルはグリーンラインとして知られている1967年の停戦ライン上に建設に建設を進めているわけではない。 むしろ、パレスチナの中でも最も肥沃な土地の中に建設を進めており、この一方的な攻撃は、 イスラエルによる土地の併合、農業や財産の破壊、人権侵害をさらに進めようとするものである。西岸北部における「壁」建設の第一段階は、115kmにもおよび、電気柵、堀、監視カメラ、センサー、 治安維持のためのパトロールを伴ったもので、数千万ドルの費用がかかっている。「壁」の高さは平均8mで、 全長は350kmにもなり、西岸地域を取り囲んでしまう。西岸の2%近い土地の没収を含む建設第一段階では、 少なくとも30の村がその一部あるいはすべての土地を失う。 カルキリヤから40km北方の地域では、「壁」の全長の約12%の建設の結果として90平方kmの土地が失われることになる。 建設第一段階すべてを通しては、160〜180ku奪われることになるだろう。 少なくとも15の村の居住地区は「壁」の東側になる予定である一方で、それらの村にとって重要な土地が 「壁」の間か、居住地区の反対側になってしまう。 さらに、この周辺地域の中心都市であるカルキリヤは「壁」により完全に取り囲まれてしまう。 キャンペーンマップ( Map1)によると、次に挙げる15の村が「壁」とグリーンラインの間に閉じこめられてしまう。 [キルベットウムアルリハン、バルタアルシャルキヤ、ダヘルアルマリ、アブダラアルユニス、アルシェイクサイード、アルムンタルアルガハビカ、ナズラッティサ、ナズラットアブナール、 バカアルシャルキヤ、ジュバラ、アラブアルラマディンアルシャマリ、イズバトジハッド、アルダバ、アラブアルラマディンアルジャヌビ、アラブアブファルダ] (※訳者注 村の名前は正確に訳せていない可能性があります)。 ルマンナ、ターナク、アルタイバ、アルサイダ、アニンの村々も同じように徐々に閉じこめられてしまうと考えられている。 イスラエルが「壁」のルートをくり返し変更するため、推定や現実の変更をしなければならない。 インティファーダの間、パレスチナ人に対する様々な決定が一方的になされる中で、 「壁」建設を巡る政府の決定も形式ばらないかたちでなされてきた。 2002年4月、「壁」建設の運営委員会が西岸北西部およびエルサレムにおける「壁」建設の即時開始を求めた。 「壁」建設のさらなる制度化の中で、委員会は「継ぎ目の地域の管理計画」をつくった。 これは、イスラエルの人権団体であるB`tselemのレポートに基づいて「壁」の建設を進めるというものである。 ほんの数日後、「壁」の建設ルートマップを公表していない段階で、イスラエル軍は西岸北部での土地の没収、 木々の引き抜きを開始したのだ。 「壁」建設に関する政府内での会議が続いていた8月、最初に出された「壁」建設の地図に対する イスラエル治安組織内での反対意見に従って、地図の変更がなされた。 しかしながら、この結果は公表されなかった。 「壁」建設開始からの数ヶ月間、イスラエル政府、軍ともに計画に関しての公表を行わなかった。 パラスチナの人権団体が地図の作成と公表を要求しつづけることでようやく公表されたのだ。 パレスチナの人権団体LAWによると、イスラエル軍が11月にイスラエル高等裁判所に提出した地図は、 10月に提出した地図と異なっていたのだという。特にカルキリヤ周辺への変更が大きく、 新たに1000人以上の人が「壁」とイスラエルの間に閉じ込められることになるというものだった。 これらの変更は公表されず、警告や注意もなされなかった。 にもかかわらず、軍は土地の没収を続けるよう命令し続けている。 B`tslemは、「壁」建設の第一段階について作成した地図はイスラエル軍の公式の地図に基づいて 作成したものではないという2002年11月の報告に同意した。 むしろ、その地図は、軍による土地の没収命令(「壁」の建設場所が推測できるため。) あるいは、「壁」の西側に位置する予定になっている入植地のリストに基づいて作成された。 ここでB`tslemが挙げている入植地とは、[シャケド、ヒナニット、タルメナシュ、ラハン、サリット、ツフィム、アルフェナメシュ、オラニット、シャーレティクワ、アルカナ] の各都市である。これらの都市はすべてイスラエルに併合される予定であり、 住民は同じ地域のパレスチナ人とは異なり、イスラエル国民としての完全な権利を持っている。 11月はじめ、イスラエル内閣は「ラケルの墓」を[壁]境界の内側に含んでしまうことを承認した。 この墓は、ベツレヘムの中に位置している。土地の没収と木々の伐採はベツレヘム地域でも始められていた。 西岸北部でこれまでに没収され、今も破壊の続いているのが非常に豊かな土地であることは強調しなければ ならない。また、イスラエルの強制的な封鎖政策による長期的な貧困状態について考え、 奪われた土地が生活の手段であったという事実を解釈することも必要になる。 「壁」建設の第一段階において、およそ30の井戸が「壁」によって村から切り離されて立ち入り禁止に なってしまう。これは、水源に関してイスラエルがパレスチナ人に対してさらに管理を強めていくことを 意味している。多くの村にとっては、唯一の水源を失うことになるのだ。 「壁」の南の部分にはいまだにはっきりしておらず、これは中央部やエルサレム部分においても同様である。 わかっていることは、「壁」の建設によりエルサレム地域における「既成事実」作りがさらに進むであろう ということである。「壁」建設は1967年の停戦ライン上に行われるのではないということと、 「壁」が占領都市に対するイスラエルの管理を脅かすものではないということを、 イスラエル政府はくり返し公式に確認してきた。 西岸に住むイスラエル−ユダヤ人入植者の約50%がエルサレム郊外に建設された入植地を含んだ東エルサレムに 住んでいることを考えると、エルサレムにおける「壁」は、没収された土地の大きな部分を成し、 少なくとも15の入植地をイスラエルに併合することになると考えられる。 さらに、エルサレム郊外に住み、現在でもイスラエルによるチェックポイントの設置により 西岸での領土維持の権利を否定されている多くのパレスチナ人は、 人口におけるマジョリティーを確保したいイスラエルによって刑務所に押し込められたような 状態に置かれるだろう。 これは、「壁」とイスラエルの間に閉じ込められた西岸北部地域と同様の状態である。 「二つのもの」をわける「fence」という世界各地のメディアの伝え方は、 8メートルにもなる物理的な巨大さとそれが何十万人もの人々に対し意味することの両方を示さず、 シニカルで描写力にかける単語を使ったものである。 多くの人にアフリカの言葉での分離を表す「アパルトヘイト」という単語を思い起こさせる分離のレトリックは、 二つの民族の地政学的、歴史的へだたりを反映してのものではない。 むしろ、イスラエルにより続けられているパレスチナ人の民族的、経済的自決権を無視した 強制的で一方的なパレスチナ人追い出し運動を考慮してのものなのである。 「壁」の建設は、西岸地域の「バンツスタニゼーション」を進めるものであり、 西岸をそれぞれでは自らを支えられない何百もの小さな部分に分け、 イスラエル軍設置のチェックポイントや入植地に取り囲まれた野外監獄にしてしまうものである。 「壁」建設の本質について正確に記述するためには、占領政策それ自体への理解が不可欠だ。 占領政策の中で「壁」は一つの手段であり、長期的に確立してきた流れをさらに加速させるものなのである。 「壁」という考えつまり分離の考え方は歴史的なものである。 隔離と人権侵害は遅くとも1967年には開始されている。 また、封鎖と制限という流れは90年代中ごろからの封鎖政策の開始より見られるようになった。 封鎖とパレスチナ人の移動への厳しい制限を伴ったイスラエルによる安全保障レトリックは ここ10年ほどのものであり、「壁」建設の正当化にも使われている。 一方的に障害を作ることは新しいものではない。しかし、その規模は拡大している。 Section contributors : ARIJ, LAW, PHG, LRC
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