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Report # 1 経済への影響 現在、パレスチナの経済状態は悲惨なものである。占領下のパレスチナ人に税を課し、 それを占領軍の活動資金とするという占領政策が35年間継続した結果、 医療や教育や道路やその他のインフラなどの社会サービスがほとんど機能していないのだ。 事実、西岸とガザにおける占領政策は、イスラエルへの安い労働力生み出し、維持してきた。 オスロ和平交渉の期間に少数者の利益になるような投資や発展は見られたが、 パレスチナ経済が全体として改善されることはなかった。 オスロ「和平交渉」の最中に開始された、封鎖政策により西岸、ガザでの失業者が増大した。 イスラエルの仕事場に行くことが出来ず、それ自体では経済活動が成り立たない地域に 住みつづけるしかなく、何万人もの失業者が生み出されたのだ。 イスラエルとの境界上におけるようなパレスチナの自治の欠如は、 人や物の移動の自由に対する厳しい制限へと移行し、イスラエル経済へのさらなる依存を 強いることになった。表面的にはパレスチナ人の自治拡大を宣言していた和平交渉は、 10年続くさらなる悲劇、絶望、貧困という結果になった。 オスロの期間にパレスチナ人は、ほんの二年ほど前から大きくなってきたにすぎない 外部からの支援に、依存した存在であることを意識し続ける事になったのである。インティファーダ開始後の二年間に、それまでのパレスチナ人を脅して 追い払おうとする傾向がさらに強められ、これまでにないほどの割合で インフラの破壊が行われた。ライフル、戦車からの砲撃、爆撃、ミサイルそして、 家や仕事場や医療施設への銃撃によって、パレスチナの町や村は完全に破壊された戦場の ようになってしまった。損害は数億ドルにのぼると推定されている。 これは、生命の犠牲を含めていない。軍による攻撃は、国際機関の寄付によって 過去10年間に作られた水供給のシステム・ネットワークにも影響を与えた。 現在、その一部あるいはすべてが破壊されてしまっている。 過去2年間、パレスチナと国際的団体はともに、水供給インフラ・システムの破壊が、 水や衛生状態に影響を与え、占領地の人々が健康状態の危機に瀕しているとくり返し主張してきた。 その多くが樹齢数百年におよび、文化的・歴史的に重要であると考えられている 百万本もの木々を伐採することを伴った、数十kuの農地の破壊は、 それらを仕事場と収入源としている数千人の人々に影響を与えつづけている。 そして、封鎖・包囲政策が移動の自由の制限をさらに厳しくし、残されたいかなる仕事にも ありつけないため、人々は生活、生存のために土地への依存度をさらに高めている。 「パレスチナ農業救済委員会(PARC)」は、インティファーダ期間内における木々の 伐採による損害は全体で、15億ドルに及ぶと推定されている。 また、「パレスチナ農業省」によると、農業分野全体の損害は、2000年9月28日から 2002年6月30日の期間で70億ドルを越えると推定されている。 『壁』建設第一段階における土地の没収は160kuに及ぶ。 (しばしば引用される90kuは第一段階の内現在建設中の一部分を表すのみの数値である。) また、これには何万本もの木々の伐採を伴う。 軍用ブルドーザーによる破壊を免れる地域の多くも『壁』の反対側になってしまい、 土地の持ち主が立ち入れなくなってしまう。多くの村が、商品の売買を行う最も近い街から切り離されてしまう。 『壁』とイスラエルの間に閉じ込められてしまったは、 イスラエル、パレスチナ双方に行くことが出来なくなる。 『壁』に取り囲まれ、土地の多くを没収されたカルキリヤは、西岸全域を通しての果物や野菜の生産地であり、 住民の多くは農業に従事していた。「パレスチナ統計局」によると、2000年以前のカルキリヤ地域の 失業率は16%だった。しかし、「カルキリヤ労働組合」によると、2002年度の失業率は 70%に達している。地域全体への影響は非常に大きい。 パレスチナ経済全体への悪影響は軽視されてはならない。 「パレスチナ学術協会・国際問題研究(PASSIA)」は、2001年中旬におけるパレスチナの GDPのおよそ7パーセントを農業が占めているという見積もりを示した。 そのほとんどを零細・家族経営の農業が占めている。開墾された地域全体の90%が 西岸に位置している。イスラエルによる侵攻、封鎖、包囲が強まったここ一年間より以前には、 パレスチナ人労働者のおよそ20%が農業に従事しており、その内75%が女性であった。 その他の西岸地域での『壁』建設の悪影響をあげる。ナブルスでの、ジェイアス村の 主要果実・野菜の収穫の売上はその大部分を失っている。 ナブルス市当局によって運営されている市場は、商品を出している農家からの出資金を失った。 その金額はで75万新イスラエルシュケル、あるいは15万ドルを越える。 トラックドライバーや荷積みその他市場に関係する仕事に従事していた人々もまた、大きな損失を被った。 オスロの期間から、現在にいたるまで、イスラエル商品が西岸地区に流入し自由に出回っている。 これには、パレスチナ人の使用が認められていない、入植者用の道路が使われている。 パレスチナでの封鎖、外出禁止令、包囲、アパルトヘイト(隔離政策)という現実のもとで、 たとえ隣の村への製品の運搬も極めて困難である。 パレスチナ人は多くの場合、舗装されていない農道を通らなければならない。 軍の設置するチェックポイントや道路封鎖のためのブロックや盛り土に通行を 妨げられないことを願いながら。オスロ交渉の際、西岸のヨルダン国境地域で生産された 果物や野菜の輸出を停止していることで、イスラエルの悪名は高かった。 農産物は“保安上の”理由によって足止めされ、西岸を出る前に痛んでしまう。 現在、農業者や、運転手は出発地点からほんの数kmで様々な軍による障害にあっている。 抑圧は影響力をもっている。 Section contributors: PARC
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